有機的工場跡地, 上海 – 中国

前回ご紹介したカフェに続き、今回はその外側に広がる芸術区について話していきたいと思います。

芸術区(アートスペース)というと、日本では廃校の校舎などを活用したアート/イベント発信地が増えてきていますが、中華圏では工場跡地を使う方法が根付いており、各地に有名なスポットが存在します。(以前ご紹介した台湾の華山1914もそうでした)

上海のM50もその1つ。1990年代までとある企業の紡績工場だった地帯の建物内に、2000年代に入って芸術家がアトリエを構え始めたことから、芸術区として再始動したそうです。

”上海春明粗紡廠” ”m50″ “一九九四年” の文字が描かれた鉄扉

街に紛れ込んだ決して広くはない敷地に、迷路のように建物がひしめき合う一帯です。

現在使われてい建物は20棟ほどで、各建物内に設計事務所やアトリエ・ギャラリー・ショップ等が入居しています。

1930年代から使用されていたとあって、建物はどれも年代を感じさせるものばかり。建物同士を繋ぐ渡り廊下があちこちに散見され、地上に降りずにどこまで棟を移動できるか?試したい気持ちに駆られます。

渡り廊下で隣の棟へ。地上だけでなく、色んなルートで各棟へ出入りが可能
ふと横をみるとそこにも渡り廊下。建物同士がどんどん繋がっていく。

地上は建物が乱立し、その間を抜けて歩いていく迷路のようなつくり。さすがにこの先は行き止まりか?と思わせる路地裏を回り込むと、そこに2階へ上がれる階段が登場したりも。興味本位でつい奥へと足を進めてしまいます。

奥まったスペースにも2階テラスがあり、イスとテーブルがあり、作業室がある。どんな場所にも誰かの生息地がある。

突如現れる、窓からコーヒー販売スペース。

さりげない、でもつい引き寄せられる小窓。

一見人気(ひとけ)がないようで、そこはかとなく滲み出るクリエイティブな気配。

多くの芸術家やデザイナーが事務所を構えていることが証明するように、この場所が人のクリエイティビティを刺激するのでしょう。

古い躯体にコンクリートを打って、新たにバルコニーを作っている。(右下部分がわかりやすい)
元は煉瓦塀だったと思われる古い壁(正面)に、新しく追加した廊下兼インナーテラス。大きなFIX窓で採光も十分。
元は屋外だったと思われる、煉瓦塀むきだしの廊下。こうした実験的な手段が取れ得る場所だから、自由な発想を持つ人々に愛されるのだろう。

まるで学校のような建物でありながら、高い天井に等間隔でトップライト(天窓)が設けられている廊下は、距離の長さにもかかわらずしっかり光を取り入れ、美しい陰影を生み出していました。

天窓は様々なところで見られました。建物が密集しているからこそ、天井付近からの採光が重宝されたのかもしれません。

両側に窓のついた天井。通風や排気の役割も担っていた?
ボーッと眺めていたくなる光と影

大小ある建物のいくつかは区画で区切られ、オフィスやアトリエが入居。内装は自分たちで変更可能なのか、それぞれ全く異なる個性的な空間でした。

壁一面に模型をディスプレイしているのは設計事務所。天井高を活かしてロフトを作ったり、床をフローリング素材にしたりとまるで居住空間のよう。細長い空間なのに、トップライトのおかげでとても明るいですね。

お隣は打って変わって「静」の空間。美術館のような静けさに、そっと置かれた年代物のテレビや家具が目を引きます。黒の鉄階段が中央で浮遊感を漂わせ、どこか現実離れしたような雰囲気を感じさせます。

ここにもサンルームのようなトップライトが。実際に入り込む光は(時間帯にもよりそうだが)強すぎず、程よく室内の明るさを保っていた。

アーティストの息遣いが感じられる、沢山のキャンバスや画材が置かれたアトリエも。

作品群を柔らかに包む窓からの光に、少し尊い気持ちになる。

工場や倉庫らしくない建物もいくつか見られました。今なら無駄なデザインと言われかねない愛らしい窓周りや、上に載ったバルコニーが優雅な事務所ビル。(現在は建築設計事務所が入居しているようです。)

蛇腹のような形状がユニークな表情を作り出す建物。それぞれの窓が開閉できる。豊かな植栽に入居する人々の建物に対する愛情が感じられる。

こちらも窓周りにひとクセあり。採光のための角度付けでしょうか?天井まで続く窓も素敵です。

「古いから」「新しいから」ではなく、純粋に建物として、空間としての魅力があるから残されているのだと感じます。

芸術区全体を通じて感じたのは「入居者主体である」という前提がぶれていないこと。外部からの訪問者に最適化された空間ではなく、あくまで入居者たちの表現活動の場であるという意義が揺るがないからこそ、多くの人を惹きつけるだと思います。

多少観光地化されているものの、基本的には昔の姿を保ったまま(あるいは入居者たちが芸術活動の一環として改装して)使われていることで、まるで進化を続けながら生き長らえる生物を見ている感覚でした。この混沌から生み出されるクリエイティビティがある限り、この空間は有機的に変化し生き続けるのだと感じさせられます。

人と空間は互いに持ちつ持たれつ、影響を及ぼしあうのだと改めて認識させられた空間でした。

それでは、また別のスペースで。